黄檗宗の歴史と特徴

黄檗宗の歴史と特徴

3宗ある禅宗のうち、臨済宗、曹洞宗、そしてもうひとつが黄檗宗(おうばくしゅう)です。この黄檗宗は、もともとは臨済宗の分派のひとつで臨済宗黄檗派としていましたが明治9年に改められました。黄檗宗の教えは、この世で実在するのは心のみであり、全ての物事や現象は心の働きによって仮に現れたものであるとする“唯心”の浄土、また、己身(自分の身)の阿弥陀仏と説かれています。

「無限の自由と愛の世界この身このままが仏である」のことばのとおり、人間はみな心の中に阿弥陀様がおり、自分の心の中に極楽浄土を見出し、心の中にいる阿弥陀様に気付かされること、というのが黄檗宗の教えです。黄檗宗の歴史は631年、六祖彗能禅師の思想を継いだ正幹が開いた般若堂が始まりとされています。

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その後、衰退、復興を繰り返しながら明の黄檗山万福寺の隠元が1654年多くの弟子や職人を伴って来日し、日本の各地からも多くの修行僧が集まり教えを受けました。その後、四代将軍徳川家綱の依頼により1661年、京都宇治黄檗山万福寺を開創し、隠元隆奇禅師が初代の住職となりました。

後に衰退したものの、明治7年、臨済宗に合併され、1953年宗教法人法によって黄檗宗を復活させたそうです。江戸時代初期から中期にかけて、黄檗宗の住職はほとんどが中国からの僧侶であり、朝夕のお勤めをはじめ、儀式作法や梵唄(ぼんばい)にはその伝統が受け継がれています。今日の中国、台湾、東南アジアにある中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通しており、また現在の中国には見られない中国風の法要勤行が伝承されているそうです。

「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」ということばがあります。開祖となった隠元禅師が説いた法語の中にある「本山及び諸山にて黄檗の法窟と称する者は葷酒を山門に入れ、仏の重戒を破るを許さず」からきていると言われ、これは、「酒を飲み、精の付く物を食べて心乱れている者、不逞の輩(やから)は修行道場(寺)内に入る事は許さない」という意味で葷酒の葷とはネギやニラ等、臭気が強く精力の付く野草の事だそうです。隠元禅師が門弟、修行者を戒めた様子が伺えます。

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